【人物】マイルズ・ホートン

人物紹介

マイルズ・ホートン(Myles Horton)の生涯

1905年7月9日 テネシー州サバンナで生まれる。

1927年 米国テネシー州カンバーランド大学3年時、州都ナッシュビルのYMCAの会議に出席し、そこで初めて黒人や留学生と接触する。中国人の女子をレストランに連れて行くことができず、また黒人の友人と共に図書館に入れないといった経験に驚きを覚える。同年夏、長老派教会の活動に関与して、地域の人々が自分たちの問題について話し合う集会を開く。ホートンは、それらの人々の質問に答えることができなかったが、人々に自らの経験を話してもらうことをしながら、既に彼らが多くの答えを持ち得ていることを発見する。ホートンは、後にこの経験を「ハイランダー」の原点と呼ぶ。

その後、1931-1932年には、デンマークを訪れ、1800年代後半にデンマークの文化を生き返らせ国の社会的・経済的問題への対処に重要な役割を果たしたフォークスクールを訪問する。ホートンは、そこでの形式ばらない方法や、生徒と教師の近しい交流、学習のツールとして文化を用いるといった取り組みに感銘を受ける。デンマークにいる間、ホートンは米国南部で同様の学校を始めることを決意し、そこでは、教師が黒人と白人の生徒と共に地域の問題に取り組むことを構想した。

1932年ホートンは複数の仲間と共に、テネシー州モンテイーグルにハイランダー・フォーク・スクールを設立。設立当初は、失業者や労働者の組織化に重点的に取り組んだ。その後、当該地域の教育センターとしての役割を果たし、米国南部の11州の組合組織者や指導者への訓練を行った。その後の公民権運動においては、ハイランダー・フォーク・スクールの取り組みが大きな影響を与えたとされる。モンゴメリーにおけるバスボイコット、市民権学校、学生非暴力調整委員会(SNCC)の設立など、それらの運動の基礎を築くのにハイランダー・フォーク・スクールでのワークショップやトレーニングセッションが機能したとされる。

1990年1月 脳腫瘍にて逝去された。

Highlander Research & Education Center Hpより引用・作成

文責:小山 宰