人物紹介

ソウル・デイビット・アリンスキー(Saul David Alinsky)の生涯

1909年に、米国イリノイ州シカゴにて生まれる。1972年に逝去。

米国社会のオーガナイザーとして、多くの市民活動家と地域グループを生み出すことを促進した。

大学で考古学と犯罪学のトレーニングを積んだ後、アリンスキーはイリノイ州において、犯罪学者として8年間従事した。1938年に、アリンスキーは、彼にとって初めてとなるシカゴの労働者階級のコミュニティ・オーガナイジングのキャンペーンに着手し、結果としてコミュニティ組織化の原型となるBack of the Yards評議会を立ち上げた。1940年に、アリンスキーはIndustrial Areas Foundation(IAF)を設立し、彼の技術を用いるオーガナイザーの幹部を養成した。

戦時中のいくつかの連邦政府におけるサービス提供に追随しながら、アリンスキーとIAFチームは、国家全体を通して、彼らの技術をコミュニティに投じた。カリフォルニア州のCommunity Service Organizationは、米国農民労働者組合の設立に取り組んだセザール・チャベスに、早期のトレーニングを提供した。

彼の故郷となるシカゴにおいて、アリンスキーは、貧困地区に居住する黒人の組織化を行った。それが国内で初めて成功した取り組みの一つとなり、彼にとっても最も注目される成功の一つとなるWoodlawn Organizationの立ち上げに至った。

アリンスキーは、3冊の著書で最初の著作である『ラディカルの覚醒:Reveille for Radicals』(1946年)を拘置所の服役期間において執筆し、その他に『市民運動の組織論:Rules for Radicals』(1971年)と『ジョン・L・ルイスの生涯』(1949年)を執筆している。アリンスキーは、亡くなるまでオーガナイジングの活動を続けた。

 Encyclopedia Britannica HPより引用・翻訳

『市民運動の組織論』

著 者:Saul Alinsky

発行年:1972

発行元:未来社刊

CiNii Books(国立情報学研究所)で大学図書館の本を探す

Amazonで購入を検討する

文献内容紹介

ラディカルとはなにか?

本書の冒頭数ページでは、アメリカに住まう人々の多種多様な生活状況を人々の外見から、住まう場所、信仰、政治思想、食べるものなどを細かに描写し、そこでの違いが表現される。アリンスキーはこれらの違いを乗り越え、人々の間に真に共感の関係を築くことの難しさを示すが、その上で、ラディカルを「すべての人がもつ可能性が実現される社会、人が尊厳と安寧、幸福と平和のうちに生きる世界」(p.31)を望み、個人の権利のために中央集権と戦う人々を指すものとする。さらにラディカルを説明するに際し、それに類する語としてリベラルとの対比を行う。アリンスキーは、リベラルが「しごく静かに、冷静にすわり、問題を研究する」(p.40)傾向があることに対して、ラディカルを「決意と行動の人間」と説明する。アリンスキーは、その他にもリベラルとの対比におけるラディカルの特性を説明するが、「ラディカルはつねに、持ち駒のすべて、すなわち自己のすべてをかけ、背水の陣をしいて戦うのである。」(p.43)との説明を加えるように、後述するラディカルが実践する具体的な行動の意義およびその特性を強調する。

危機と機会

未知のものや未来に向かっていくに際して、人々はそれらに対する恐れを持ち、それ故に自らが見知っている過去への憧れを示すことをアリンスキーは指摘する。そして、それらの未来への恐れが、「われわれを麻痺させ、非決断と惨めさの中に追いこむ」(p.90)として、そこでの危機の存在を説明し、未知のものに向き合い、諸問題を検討していく必要が示される。その解決策を見出していく中で強調されているのが、民衆とともに解決を求めることである。アリンスキーが「われわれが直面するあらゆる問題に対する解答は、民衆それ自体のなかにみいだれる以外にない」(p.94)とするように、そこでの民衆自身の関与が最も重要であることが説明される。この点に関連し、説明が加えられるのが、機会であり、問題解決のための構造や形式に捉われるのではなく、民衆とともに活動をするということの中で見出されるものとして位置づけられる。しかしながら、ここでの民衆における「無関心」の問題が指摘される。無関心とは、「かろうじて人類がいだいてきた理想の大部分がくちはて、打ちこわされた結果、もはや理想はない」(p.97)といった状態に追いやられた民衆の状態を指す。この無関心から民衆を呼び覚ますことがラディカルが直面する課題であり、集中し対応しなければならない状況であるとアリンスキーは指摘する。これらの実践は、民衆組織を建設する仕事であるとも位置づけられており、その後の具体的な実践展開へと繋がるもの

自生的であること

アリンスキーは、民衆に関わるプログラムの創設・実現について、または民衆組織のリーダーのあり方を説明する中で、それが「自生的」であることを強調している。自生的とは、人為によらない形で自然に発生、育成されることを意味するが、ここで強調されているのは、プログラムの創設やリーダーの選定において、特定の民衆の中で互いに認められ生成される側面の重要性である。これに関連し、アリンスキーはリーダーの選定についての問題状況を指摘している。すなわち、民衆組織のリーダーの役割を一定の地位を持つ専門家が担う状況が見られる中で、例外はあるとしてもそれらの人々が民衆の希望や願い、悲しみや苦しみを真に理解できない状態があること、それが結果的に組織の衰退を招くといった状況を指摘する。リーダーが自生的に生まれ、その基に組織が形成されることが強い取り組みを生み出すことを示唆している。

(具体的な実践展開)
組織戦術

ラディカルが後に続く闘争を実践するにあたり、民衆を組織化していくことが必要となる。組織活動家が、いかにそれらを実践していくかに関連して、本書では、それまで地域の社会改良や地域団体への参加に興味を示していなかった商人をいかに組織の活動に引き入れるか等、組織戦術の具体的な例示が複数なされている。組織活動への参加の有無が商売への影響を与えることを商人に想起させ、本来の目的とは全く異なる形で当初の参加を導くことや、商人に地域内で貧しさを抱えながら生活をする子どもと実際に交流をしてもらうことで、社会的な問題やそれへの怒りを実感してもらうといったことが示される。一方、これらの具体的な戦術の他に、改めるべき状況として、会合に民衆が参加しない、参加の呼びかけに民衆が応じない状況を、民衆の側の問題として非難する組織活動家の姿が例示される。アリンスキーは組織戦術について、「組織活動家自身が民衆に対し完全なる信頼をいだき、その信頼のために完全に献身すること」(P.234)がその根本において重要と指摘し、また組織活動家への民衆の信頼が、その後の多様な活動展開の基盤になることを説明する。いかなる細かな戦術の採用よりも、この信頼の重要性をアリンスキーは本書においてくり返し強調している。

闘争戦術

リベラルとの対比においても述べられるように、ラディカルの特色は、民衆が抱える困窮状態等の苦難の解決に向けて、中央集権あるいは力のあるものに対して行動をすることにある。ここでの行動が、闘争として位置づけられるが、その在り方についてアリンスキーは、多く部分が静粛で合法的手段によって行われるものとしつつも、一方で「社会的弊害に対する戦いにおいては、フェア・プレーのルールは存在しない」(P.238)として、あくまで苦難の状況下にある民衆の勝利を勝ち取ること、あるいはその民衆の士気やエネルギーをいかに闘争の勝利に結び付けるかということを重視する。本書では、地域の福祉には目もくれず、また従業員の労働条件や給料の待遇改善にも関心を示さない「大企業」と民衆との闘争が例示され、大企業の非社会的な闘争手段に対抗して、壊滅的な打撃を与えるように見せかけることで、戦いに勝利をしたことが説明される。戦いは知的な議論ではなく、生死をかけた戦いと表現するアリンスキーは、あくまで民衆の苦境の改善にこだわり、そこでの闘争戦術においても相手側の出方に抗して多様な手段を構想している。

ラディカルの必要と期待

本書の原著である『Reveille for Radicals』が出版されたのは、戦後の1946年となる。この当時のアメリカにおいて個々人の地域社会における政治参加が回避されている現状があることが本書において指摘されている。その背景において、アリンスキーは、「かれらが自己を表現せず、事物に無関心あるいは興味をもたないままであり、また無名なままの底知れぬ深い孤独のなかに一人孤立したままでいるならば、民主主義は終わったのである。」(P.325)とその状況を問題視する。また、それらに関連し、民衆はアメリカのためのアメリカ人として考えなくなり、利己的関心や自己の徒党的利益のために関心を表出するようになったことを指摘する。その結果、そこに含まれない圧倒的多くの人が声なき民として沈黙しているとのことを指摘する。本書の最後では、これらの状況に対して、民衆組織を立ち上げ、民衆の参加を達成するためにラディカルの必要と、上述する組織戦術における要点を実行するラディカルへの期待が示されている。


COとの関連

 20世紀初頭のシカゴの食肉加工業地域およびそこでの労働者の過酷な生活状況の描写から始まる一連の当該論文(1,2,3,4)は、当時のそれらの労働者の生活実態を背景にした貧困問題、住宅問題、失業といった問題に取り組んだアリンスキーの住民組織化の特質を整理する。

アリンスキーは、政党活動や、ソーシャルワークに依拠する実践等といった「どの『運動』にも依拠せず、地域コミュニティ住民の組織化とその『民主的意義』を固く信じ、運動の拡大を目指して組織化を実践し続けた」(2014.5:148)とされる。当該論文では、アリンスキーが何故このオリジナルな組織化に拘り、実践を展開してきたのかについて、この当時の社会政策や取り組まれた具体的な活動を含めて考察を行う。米国における大衆社会の出現、すなわち大多数の側の人々が、巨大な国家権力のシステムに組み込まれる状況を背景に、人々が「主体的且つ実質的に統治に参加する必要性を減退」(2015:45)させていることに米国の民主主義の危機を見たアリンスキーが、自身の組織化の実践を「民主化」または、「人々の協働に基づいた実質的な自己統治を実現する『運動』」(2015:45)として位置づけ展開していたこと等が指摘される。国家による国民の権利拡充といった取り組みがなされる一方で、貧困層などの被抑圧的な立場にある人々がさらに周辺化されていくといった傾向が現代においても存在する状況において、アリンスキーの組織化にまつわる哲学は、「不断に創出される『他者』と『自己』の境界線を乗り越えていく『運動』のあり方を示唆するものであろう」(2015:77)との評価がなされている。


文責:小山 宰