【人物】賀川豊彦

1988年神戸市にて出生。5歳の時点で両親と死別し、その後は徳島県にて幼少時代を過ごす。16歳でキリスト教に入信した賀川は、その後、21歳の時に神戸へと戻り、スラム街にてキリスト教伝道、隣保事業を行う。これらの活動を皮切りに、米国プリンストン大学への留学を挟みながら、帰国後は労働運動、農民運動、協働組合運動、平和運動などの様々な活動に携わる。多くの住民と共に、その基本的な生活を支えることに注力し、特に子どもや女性、病人が人間らしく生きることを重視した。これらの活動は、世界的にも大きく評価がなされマハトマ・ガンジー、シュバイツァーと並び賀川が、新しい社会の指標を与えた3人と数えられるに至る(Hunter A (1939) Three trumpets sound : Kagawa, Gandhi, Schweitzer. Association Press)。さらに賀川は、上記活動に加えて、著作活動にも精力的に取り組んだ。1920年に出版した賀川自身の前半生を投影した小説『死線を超えて』は、大正期最大のベストセラーとなった。晩年になるとこれらの著作活動および平和活動に対してさらなる評価がなされ、ノーベル文学賞、平和賞の候補に挙げられた。1960年東京にて逝去。

賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会 編(2010)『Think Kagawa ともに生きる』賀川豊彦記念・松沢資料館 を元に作成

『復刻版 協同組合の理論と実際』

著者:賀川豊彦

発行年:2012

発行元:日本生活協同組合連合会

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文献内容紹介

本書は、第二次世界大戦終戦の翌年1946年に出版がされた『協同組合の理論と実際』(コバルト社)の復刻版である。協同組合とはいかなるものであるか、執筆当時の国内情勢を踏まえて、経済・社会のあり方として目指されるべきものは何かが、書名の通り理論およびその実際としてまとめられている。以下、賀川が説く協同組合論の概観と、その中心の一つとなる「精神運動としての協同組合」をまとめる。

賀川の協同組合論の概観

 賀川は、はじめに当時の世界各国の社会情勢を踏まえながら、そこでの資本主義経済の限界、またそれを乗り越えようとする労働党や民主政党の取り組みの課題を指摘する。さらに、その背景としてのアダム・スミスの経済学や、マルクスをはじめとする唯物史観的経済学等を批判し、その上に「人間意識を基礎にしたる新しい意識経済学」(p70)およびそれを基礎とする協同組合論の必要を唱える。ここで示される「意識」とは、後述するキリスト教における兄弟愛意識に関連するが、賀川が協同組合の本質を、「協同組合の精神を一口にいえば助け合い組織である。生産者も、消費者も愛のつながりによって公正な、自由な幸福を分かち合う経済生活をいう。」(p80)として説明をするように、人と人との助け合いや繋がりを基調に経済・社会のあり方を捉える点にその特徴が見られる。さらには、賀川は生産組合や消費組合をはじめとする7種の協同組合の具体的活動の必要とその実践を説く。これらは、現代における協同組合の実践に通ずる言説となるが、賀川が示す協同組合論は、限定された地域におけるその展開を眼目としてはしていない。賀川が、「日本が、真に理想的な国家となるには、この協同組合国家として改造されねばならぬと信じている。かつ世界が、真に理想的な平和世界となるにもまた、この協同組合精神によって互いに結ばれ、協調相愛し、経済的政治的文化的に力を合わせるよりほかに道はないと確信する者である」(p140)と説くように、賀川の協同組合論は、国家改造や世界平和との関連において、その論を位置づける点にもその特徴が見られる。

精神運動としての協同組合

 協同組合の取り組みの始まりは一般的に、19世紀中葉のロッチデールの織布工の実践に求められるが、賀川は、それら以前より協同組合の取り組みに繋がる実践が確認できるとし、キリスト教の歴史および兄弟愛の発展にその起源を求める。それゆえ、賀川が協同組合の取り組みにおいて重視するのは、この起源から継がれる隣人愛や相愛互助の精神であり、「協同組合は、単なる機械的な組織ではなくして精神運動であるということをまず心にとめていなくてはならない。」(p97)ということが述べられている。本書では、賀川が自身の協同組合論を著した時代における貧困や飢餓それに関連して見られた人々が闇買いに翻弄されるなどの姿が描写されている。これらの社会状況を背景に、なぜ人々に協同の取り組みが必要となるのか、そこにキリスト教の精神を根底に人々が繋がり、手を取り合う姿の必要が強調されている。そして、「協同組合は精神運動であるから指導者と組合員の美徳が進めば進むほど成功する」(p97)との認識より、これらに関する道徳教育の徹底や意識開発が強調されている。なぜ人々が協同の取り組みをするのか、または協同はどのように存立するのかに明確な位置づけを持つ点も賀川の協同組合論の特徴と言えよう。


『賀川豊彦』

著者:隅谷三喜男

発行年:2011

発行元:岩波書店

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紀伊國屋書店HP

文献内容紹介

本書は、賀川豊彦の主に戦前の数々の取り組みを、賀川自身が著した文献等から振り返り、その思想を踏まえてまとめを行う評伝である。以下ではその内、労働組合についての取り組みに関連し内容を紹介する。

労働組合との関わり

賀川は、神戸市新川の貧民窟(スラム街)で隣保事業に1909年から5年程携わった後、2年9か月の間、アメリカでの留学・滞在を経験する。滞在中、賀川はニューヨークでプラカードと組合旗を掲げて街を行進する数万人の労働者によるデモに出会う。そこで救済ではなく、労働者自らが行動をする労働組合の活動にインスピレーションを受け、労働組合運動についての一応の勉強をして帰国した。留学前、労働組合への具体的な認識を持ち得ていなかった賀川が、アメリカの労働組合の具体的な実践見て、それを持ち帰り実践しようとしたことが示唆される。ただし、賀川が当初、構想した労働組合の取り組みは、「貧民問題を労働問題との関連で考えようとした」(p47)との特徴がある。アメリカで学んだものを当時の日本の現状に合わせる形で、また従前より賀川が取り組んでいた貧民の解放運動と結びつけ発展をさせようとした点に、その活動の拡がりの要因が伺える。さらに賀川は、労働者運動に既に取り組んでいた友愛会の活動に加わり、自らが得た知識を講演会の場で披露したり、神戸連合会の評議員の役割を務める等、積極的な役割を担った。本書では、当時の賀川の労働運動観が示されるものとして、関西労働同盟会の創立の際に賀川が起草した創立宣言が引用される。そこでは、「労働者は商品ではない」という賀川の労働運動における明確な基本原理が示されるほか、労働組合の自由および生活権、労働権等が要求され具体的に8時間労働制や最低賃金の制定などが要求項目と示されている。労働組合に関する知識と明確な思想を持ちながら、自らもその活動に尽力することによって労働組合の発展に寄与した賀川の姿が本書では示される。


多様な社会運動や著作活動に携わった賀川については、「かれの実践と理論を結びつける最大のものは『協同組合論』であった。ここにはかれの宗教意識に裏づけられた社会改造の核心がある」(堀田 2016:147)と述べられるように、特に生活協同組合に関する実践およびその理論への結びつきの強さが示唆される。以下に、生活協同組合と賀川の関わりを要約する。

生活協同組合と賀川豊彦

日本の生協運動の始まりは、明治時代中葉にまでさかのぼるとされる。一方、それらの活動が一定の規模をもって発展していくのは、大正時代後期にあたる。大正デモクラシーなどを背景として、労働運動や社会運動の高まりが見られる中、生協活動は当時の思想的・運動的リーダーの影響を受けながら発展を見せる。その渦中にいたのが賀川である。賀川は、先述する労働組合の活動において繋がりのあった神戸の労働組合を指導する形で、1921年に「神戸購買組合」の発足に携わる。第一次世界大戦後の物価高騰や小売商の暴利を貪る運営などに対抗する形で消費組合を立ち上げたとされる。さらに同年には、高級住宅地として発展をした住吉村(現、神戸市)における物価高騰に影響を受けた旧来からの住民を守る形で、灘購買組合の立ち上げにも助言を与えたとされている。第二次世界大戦後は、各地域において生協活動を行っていたリーダーを取りまとめ生協活動の再建と発展を目指して、1945年11月に「日本協同組合同盟」が発足されることとなるが、賀川は同団体の初代会長を務めた。

賀川の『協同組合論』

生活協同組合の活動および実践に積極的な関わりを持った賀川は、同時にその理論化へも貢献を果たす。その特徴については、キリスト教に基づく宗教的信念と運動を前進させる科学的見地とのないまぜが、その一つにあげられるが(堀田 2016:149)、そこには賀川の信仰および実践と学びが集約されたものとなっていたことが示唆される。当時のあらゆる貧困の根本における資本主義に対する理解を、マルクス主義的な「唯物論」におくのではなく、「唯心論」において捉えながらキリスト教的「愛」を協同組合運動の中心精神として位置づける賀川の『協同組合論』およびそれに基づく実践は、それ故に階級闘争などの動きとは一線を画すものであったとされる。すなわち、「賀川は資本主義の廃絶には生涯を通じて向かわなかった。」(堀田 2016:151)とされるように、協同組合を資本主義との競争的な立場に位置づけ、それをもって社会の変革を目指した点において賀川の『協同組合論』の独自性が見られる。

引用・参考文献

堀田 泉(2016)『消費組合論 「消費」の再定義に向けて』風媒社.
日生協創立50周年記念歴史編纂委員会(2002)『現代日本生協運動史 上巻』日本生活協同組合連合会

賀川が、神戸の貧民窟に入った1909年を起点として、2009年「賀川豊彦献身100年記念事業」が広く展開された。この時、事業の一環として開かれたシンポジウムにおいて、グラミン銀行(バングラディシュ)の創設者であり、ノーベル平和賞受賞者でもあるムハマド・ユヌスが招かれ講演が行われている(賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会 編2010:148-165)。賀川とムハマド・ユヌスの共通点には、「『素人』であること『他を利する』ものの考え方」(Ibid. 2010:148)が挙げられる。賀川は、金融における協同の取り組みとして、信用組合を位置づけ、その理想を「防貧・救貧の二つを兼ね、資本の集中を防止し、資本の個人的集積をなくする運動」(賀川 2012:111)に置く。時代や国が異なるものの「他を利する」点において共通する金融として重なるグラミン銀行の取り組みの一端を下記にまとめる。

グラミン銀行の取り組みの経緯

1971年に独立を果たしたバングラディシュでは、1970年代前半に次々に起きた天災や独立戦争後のインフラの破壊など様々な原因により、1974年から75年にかけて、バングラディシュ飢饉を経験する。飢饉を背景に、元々貧しい状況にあった人々が次々に亡くなっていく、その様な状況において、ムハマド・ユヌスは、村人達の貧困の原因が、地元の高利貸しの不合理なやり方にあることを突き止めた。すなわち、村人が新たに稼業を展開するのに、その資金を求めても、銀行は、それらの人々の様子から「信用」をせず、融資をしてくれない実態があり、一方の高利貸しは自らの側に好条件を整えて僅かなお金を貸すということを行う。これらが、貧しい人々が貧困から抜け出せない状況の背景にあることが明らかとなった。ムハマド・ユヌスは、これらに対して自ら「担保や信用履歴、どんな法的な文書も要らない銀行」(Muhammad=2008:96)であるグラミン銀行を1983年に立ち上げた。

グラミン銀行の実践

 担保を無しに貧しい人々への融資を行うという特徴を持つグラミン銀行については、当初、返済が滞る可能性等から多くの批判的な目が向けられる。しかし、それに対して実態は、「創設以来、銀行は総額六十億ドル相当のローンを行っている。返済率は、現在、九八・六パーセント」(Muhammad=2008:101)といった状態に至り、なおかつ銀行の融資を受けた人の6割以上が、貧困線以上の状態に至るといったことに貢献をしている。その後、銀行の取り組みは、融資の主な対象の焦点を女性にあて、その女性および母親からさらに子どもへの教育機会の保障がなされるような狙いが込められ活動が展開される。実際に、融資を受けた母親の子ども世代は、医師や技術者になる為に高等教育を受けることが可能となり、識字の出来ない親の子が博士号を取得するといったことまでの波及を生み出していることが報告される。これらの実践を踏まえて、ムハマド・ユヌスは、「私たちが貧しい人人に提供する融資は、単なる融資記録ではなく、…それは人生を作り直すためのツールなのだ」(Muhammad=2008:115)とグラミン銀行を位置づける。信用を主軸に貧困の状況にある人々へ融資が行われ、それをきっかけに各人の生活状況が整備され発展していく、その起点の役割をグラミン銀行が担っていると言える。

賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会 編(2010)『Think Kagawa ともに生きる』賀川豊彦記念・松沢資料館

ムハマド・ユヌス、猪熊弘子 訳(2008)『貧困のない世界を創る ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義』早川書房


『友愛の政治経済学』

著 者:賀川豊彦、(訳)加山久夫、石部公男

発行年:2009

発行元:コープ出版

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文献内容紹介

本書は、1937年に英国にて出版された「Brotherhood Economics」の翻訳書となる。内容は、1936年に賀川が米国ニューヨークの神学校より招かれて行った「Christian Brotherhood and Economics Reconstruction」というテーマの講演会の内容を収録している。「Brotherhood Economics」は、ドイツ語、フランス語、中国語などに訳され世界25か国で出版がなされ、戦前より世界にて幅広く読まれる著作の一つとなっている。わが国では、後述する「賀川豊彦献身100年」となった2009年に本書が訳書として出版された。

内容の主軸は、『復刻版 協同組合の理論と実際』にも示されるキリスト教の兄弟愛を基礎とした経済観および協同組合論となるが、同書に比して国家レベルにおける協同組合の関わりと世界平和に関連するよりマクロな領域における協同組合論が詳述されている。ここでは、まず地域における協同組合の共益を基にした取り組みがどのように公益と関わるのか、さらに国家レベルでの協同の構想が社会にもたらすものがどのようなものであるのかを簡単に紹介する。

共益から公益への発展

賀川は、各協同組合の取り組みにおいて組合に所属しない非組合員の福祉に配慮をしない、換言すれば所属組合員ためだけの福祉を考えた協同組合の取り組みに対する一般の反対があることに触れ、協同組合のあり方について「社会の全体に関心を持つ意識の目覚めがなくてはならないのである。」(p.94)と述べる。これに関連し賀川は、組合員への余剰金配当に関してのあり方に触れている。ここで対照的に例示されるのは、消費者協同組合に所属する工場経営者が多額の購入をした場合、それに対して払い戻される利益も多額となり、結果的に個々の組合よりも工場経営者は、多くの購入プレミアムを得るという状況である。これらの状況に対する批判があることにも賀川は触れながら、購入額に応じて利益が払い戻される必要な必ずしもないこと、「多額の払い戻し金のいくらかをその地区の公共福祉のために使っていくという調整もあるかもしれない。このようにして利益は社会に還元されていくであろう。」(p.95)と述べている。賀川は、協同組合の取り組みで得られた利益を、公共の福祉のために用いることで、公益を生み出すその流れを明示し、そのような具体的な方法を用いながら、所属組合員の利益だけに留まらない「社会全体への意識の目覚め」の必要を強調している。

慈善と教育の促進・発展

賀川は、執筆当時の立法府のあり方について、それが大衆のプロレタリア化を防ぐことや大衆を恐慌や不況から救い出すのに機能していない状況を指摘する。その上でその理由を、「議会の機構が、もっぱら立法上の諸問題に関心を寄せ、産業の基本的事項や人々の最大の関心事である同業者仲間をなおざりにしているからである。つまり、基本的に生活の諸問題に触れていないためである」(p128)と説明する。これに対し、賀川は「協同組合国家」を提案し、各産業領域の協同組合および労働組合を基盤とする「産業議会」と「社会議会」を2院政の統治機構を提案する。すなわち、国民の経済活動に関わるすべての案件について議論を行う「産業議会」と、経済活動の範疇には含まれない宗教、思想、芸術、教育などを扱う「社会議会」による2つの議会によって、大衆および労働者の生活により近接する統治のあり方を示す。このような協同組合国家または協同組合運動の確立がなされた先に賀川が示唆しているのは、慈善と教育の促進である。賀川は、協同組合の取り組みが広く展開する中で、「誰もがもっと等しい額の金を所有するようになれば、誰にも拠出がもっと容易になる。」(p146)と説く。個々の拠出から、協同の活動を通し蓄えられた利益を公共のものとして具体化する中で慈善は具体化され、またそこに関わる人々が、兄弟愛または友愛の原則を学んでいく、そのような慈善と教育の広がりを具体的な事例を踏まえ説明する。賀川がここで示しているのも、協同組合の活動を基盤とする共益を目指した活動であると言えよう。さらに、この教育に関連し賀川は、「私たちの資本主義の学校は競争を教えている。」(p147)として、それらは多くの者を犠牲にし少数が豊かになること、戦争へと導く競争を教えることに関連していることを指摘し、この教育の状況に対しても、兄弟愛の原則や協同組合制度の必要性を説明している。